
「声優は食えない」と聞いたことはありませんか?これから声優を目指す人にとっては、耳を塞ぎたくなるような言葉です。しかし声優の道に進もうと考えているなら、絶対に知っておかなければなりません。声優の仕事で将来生活したいと思っている人も多いはずです。
そこで今回は声優が食えない理由や、食えない経験をした声優の壮絶なエピソードをご紹介します。この記事を読めば、改めて声優を目指すかを決めるきっかけになるでしょう。
声優が食えないのは本当なのか?
アニメや映画のナレーション、CDなど声優にも様々な仕事があります。一見、声優は多方面で活躍し、稼いでいると思われがちですが、実は声優の仕事は食えないと言われています。
なぜ声優が食えないのかですが、ギャラ制度やオーディションの枠、声優を目指す人が多いなど様々な理由があるようです。「ゆるきゃん△」のナレーションや「メタルギア」のスネークでおなじみの「大塚明夫」さんも過去のインタビューで、声優業界の厳しさについて語っていました。
「声優になる」ことを「職業の選択」のようには思わないほうがいい。この道を選ぶということは、「医者になる」「パティシエになる」「バンダイの社員になる」なんて道とは根本的に違います。少なくとも、私はそう考えています。
引用:東洋経済
声優は大手企業の安定した正社員とも違いますし、資格がないので、他の仕事よりも非常にハードルが高いです。
次はもっと具体的に、声優が食えない理由を解説していきます。
声優が食えない理由①毎月固定の給料がない
声優が食えない一番の理由は、毎月の固定の給料がないからです。高校や大学を卒業し、会社に就職すれば、毎月決まった給料がもらえます。しかし声優は正社員ではなく、もらった仕事に対して報酬が支払われるシステムです。
つまり仕事がなければ、月の給料が0円なのも当たり前。そして声優のギャラはランク制になっており、新人声優の場合だと、30分のアニメ1回の出演で15,000円です。担当したキャラのセリフが多くても少なくても、決まって15,000円になっています。
特に駆け出しの頃は、仕事を継続して取り続けるのが難しいので、月10万を稼ぐのも厳しいでしょう。自分のギャラが上がるまでは、声優1本で食べていくのはほぼ無理です。
声優が食えない理由②オーディションの枠がごくわずか
声優が食えない理由の2つ目としては、オーディションの枠がごくわずかしかないからです。誰でも知っている有名な声優なら、直接オファーもありますが、新人の頃はとにかくアニメのオーディションを受け続けなくてはなりません。
例を挙げると、2019年にアニメ・モンスターストライク(モンスト)のオーディションがありました。「ゲブラー」、「ネツァク」、「ホド」の3つのキャラを決めるオーディションで、応募総数は2000以上。そこで声優に抜擢されるのはわずか3名です。
「原作でもともと人気がある」「1期が大人気」などのアニメであれば、さらにオーディションの応募数が多く、激戦でしょう。新人声優だけのオーディションならまだ選ばれる可能性はありますが、実際は有名な声優さんもオーディションに参加します。
仕事を勝ち取るのもやっとです。
声優が食えない理由③声優を目指す人が増えてきている
声優が食えない理由にはオーディションの枠が少ないのもありますが、声優を目指す人も増えているのも現状です。声優を目指す人が増えているということは、それだけライバルが多く、声優の仕事を勝ち取るハードルが上がります。
そして現在声優養成所や声優専門学校が全国にあり、大手の声優養成所になると数百名の人材を抱えています。現在だと声優志望者数が30万人以上を超えるようです。この大人数の中から、トップの声優になるのは非常に難易度が高いと言えるでしょう。
食えない声優から食える声優になった人もたくさんいる
声優で食えないのは分かったけど、最初から実力があり、上手くいった人もいます。また最初に声優の仕事は食えないのは分かっていても、最後までじぶんの夢をあきらめず努力した人もいます。
そこで次は、長い下積み時代を経て、有名な声優になった人を紹介します。
①道端にある草にマヨネーズをつけて食べてた:櫻井孝宏
生年月日 | 1974年6月13日 |
出身 | 愛知県岡崎市 |
声優デビュー | 1996年 |
代表アニメ作品 | ・鬼滅の刃(冨岡義勇) ・あの花(松雪集・ゆきあつ) |
鬼滅の刃の「冨岡義勇」でもお馴染みの「櫻井孝宏」さんですが、声優で食えない時代はとても苦労していました。養成所に通いながらロイヤルホストでバイトし、声優デビューを飾ってからも、なかなか仕事がありませんでした。ロイヤルホストのバイトは週5回に増やし、ほぼバイトづくし。
それでもお金がなく、雑草にマヨネーズをつけて食い繋いでいたこともあるようです。上京して5年が経ってから、ようやく声優の仕事で食べていけるようになったそう。食えない時期はあったものの、ここまで声優の道をあきらめなかったのがすごいですよね。
②パンの耳は1日5個まで:大空直美
朝から大空直美さん出てびっくりした😅 #がっちりマンデー! #大空直美 pic.twitter.com/QP9DafQmjs
— タカヤマ (@takayama1059) June 19, 2021
生年月日 | 1989年2月4日 |
出身 | 大阪府高槻市 |
声優デビュー | 2012年 |
代表アニメ作品 | ・アイドルマスターシンデレラガールズ(緒方智絵里) ・宇崎ちゃんは遊びたい!(宇崎花) |
はっ…!今日、ボンビーガールにわたし一瞬映ったのですか…?
わぁぁあ☺️2013年に出演させていただいたのよね…!懐かしや…😌— 大空直美 (@osorasan703) October 22, 2019
「大空直美」さんも2013年に声優の卵として、日本テレビの「幸せボンビーガール」に出演したことがあります。バイト先の100均でもらったパンの耳をタダでもらう生活をしていて、1食で食べるパンの耳はたったの5本。
特別な日には、母親からもらった高級焼肉店のタレをパンの耳につけていたようです。バイトしていたら、パンの耳以外も食べれるように思えますが、バイト代で得られる月収はわずか5万円。親に家賃を仕送りしてもらっていたとしても、普通に食えるレベルではありません。
オーディションも40回受けて合格が1回と、相当苦労していたようです。
③20代後半でも抜け出せないバイト生活:下野紘
ご存知・下野紘さんがデビュー20周年ということで、めでたい🎉
昨今活躍の場も増えますます大スターになられて。
「ほぼはじ」もスタートから6年になりますが、これからも楽しくやっていければと思います。
あ、Youtubeもよろしくお願いします!https://t.co/cfuxdnOHiS
#下野紘声優デビュー20周年 pic.twitter.com/nxVypmqVkN— 下野紘の「ほぼはじめまして」公式 (@simono_hobohaji) June 21, 2021
生年月日 | 1980年4月21日 |
出身 | 東京都 |
声優デビュー | 2001年 |
代表アニメ作品 | ・鬼滅の刃(我妻善逸) ・進撃の巨人(コニー) |
中学3年のときに声優の道に進もうとした下野紘さんですが、声優1本で食えない生活は長らく続いたようです。
デビューして運良くすぐに主役の座を獲得することができて、「これなら声優業だけで食べていける!」と自分でも思っていたんですが、その考えは正直甘かったかな。
引用:タウンワークマガジン
下野さんは2002年に「ラーゼフォン」の主役に抜擢。主役級になれば声優として安定するかと思いきや、その後のオーディションには落ち続けて、20代後半になってもバイト生活だったようです。
自分の夢を支えたのは、紛れもなくこのバイト生活のお陰です。お金を稼ぐことで生活の基盤をつくることができたのはもちろん、夢を叶えるためにどうすれば良いか考える時間も持つことができた。
引用:タウンワークマガジン
バイトばかりの生活は心折れる部分もありますが、この下積みがあったからこそ、今の自分がいるようです。バイト生活からいち早く抜け出すためにどうすれば良いのか、色々考えたのでしょうね。
④じゃがりこで3日間食いつなぐ:細谷佳正
「フルバ」透の父・本田勝也役は細谷佳正、今夜放送された第12話に登場https://t.co/NE6VZg4qbX#フルバ #細谷佳正 pic.twitter.com/D3qm6LSVJs
— コミックナタリー (@comic_natalie) June 21, 2021
生年月日 | 1982年2月10日 |
出身 | 広島県尾道市 |
声優デビュー | 2004年 |
代表アニメ作品 | ・キングダム(王賁) ・僕のヒーローアカデミア(常闇踏陰) |
大空直美さんのパンの耳生活も衝撃でしたが、細谷佳正さんもギリギリな生活を送っていました。過去のインタビューで「声優時代に一番苦労したことはなんですか?」と質問され、以下のように答えています。
電話代や光熱費が払えなくて、普通に生活できなかったこと。友達にお風呂を借りたりしていました。
引用:アニメダ・ヴィンチ
光熱費や携帯代が払えず、お風呂を友達に借りるくらいキツイ生活を送っていたようです。じゃがりこだけで3日過ごしたこともあり、普通の人なら心が折れるレベルです。
細谷佳正さんは、声優の道をあきらめずに努力した結果、2014年と2016年に「声優アワード助演男優賞」を受賞しました。
⑤両親に顔を合わせるのも苦痛だった:小林裕介
『Re:ゼロから始める異世界生活』
2nd season騎士叙勲式 UTAGEナツキ・スバル役の小林裕介が登壇させていただきました!ご来場、ご視聴いただきどうもありがとうございました✨
引き続き応援のほど、よろしくお願いいたします😊#rezero #リゼロ pic.twitter.com/kVe7pwf0md
— (株)ゆーりんプロ (@yourinpro) June 20, 2021
生年月日 | 1985年3月25日 |
出身 | 東京都 |
声優デビュー | 2009年 |
代表アニメ作品 | ・Dr.STONE(石神千空) ・Re:ゼロから始める異世界生活(ナツキスバル) |
「小林裕介」さんはこれまで紹介してきた声優さんとは異なり、最初は電機メーカーの正社員として働いていました。声優の道を進むために会社を退職したものの、オーディションにはなかなか受からず、バイト暮らし。
声優を目指してから4年が経っても、取れたのはモブキャラ。
実家暮らしだったんですけど、両親の顔もまともに見れなくて、家に帰るのもツラかった記憶があります。
引用:小林裕介
幸い実家暮らしだったため、食べるものには困っていなかったようですが、親に迷惑かけていることがとても辛かったようです。顔を合わせるのも辛く、わざと親が寝静まった頃に帰宅したり、漫画喫茶で時間を潰したりなど、精神的にかなりきていたようです。
今では多くの有名作品に出演している小林裕介さんですが、声優として食えない時期が続き、芽が出るまでいろんな葛藤があったのでしょう。安定して給料がもらえる正社員を辞めて声優の道に飛び込んだので、プレッシャーもすごかったのだと思います。
声優として食えない期間は本当に辛い
声優が食えないと言われる理由や、下積み時代に苦労した声優のエピソードをご紹介しました。声優業界は厳しいのは確かですし、貧乏な生活を送る人も多いです。しかし自分の夢は決してあきらめず頑張った結果、今では誰もが知るような人気声優になっています。
これから声優を目指す人も、きっと辛いことがあるでしょう。しかし最後まで声優の道をあきらめなかった人だけが、自分の夢を叶えるチャンスがあります。夢を夢で終わらせないためにも、いま自分に何ができるのかを考えてみてはいかがでしょうか。
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